旧日本軍の軍人の子どもたちのために設立された広島陸軍偕行社付属済美国民学校。
爆心地から700mの地にあったこの学校は、1945年8月6日、原爆により校舎にいた教職員5人、児童約150人は全滅。壊滅状態となった。
詩人・峠三吉(1917〜1953年)は、そのことを『原爆詩集』の中の『墓標』に記した。
1970年、校舎跡に記念碑が建立。
男女の児童像が建っており、その背面の壁には『墓標』が刻まれている。
現在、この地には広島YMCAが建っている。