現在の広島県廿日市市玖島にあるこの学校は、1947年に広島県佐伯郡玖島村立玖島小学校と改称。前身の「有護舎」が1873年に設立されてから2015年に廃校になるまでの142年間に、数多くの卒業生を輩出してきた。その卒業生の一人が大田洋子だ。
大田洋子は、1912年から1918年まで玖島尋常高等小学校に通っていた。また、被爆後は玖島に避難し、小説『屍の街』を書き上げた。実際、『屍の街』には、原爆が落とされた後の玖島小学校の様子が描かれている。
太田洋子が亡くなってから15年後の1978年、校庭の一角に太田洋子文学碑が除幕。碑にはまさにここが舞台となった『屍の街』の一節が書かれている。
玖島小学校の校舎は、2022年から交流拠点施設「玖島花咲く館」として活用されている。館内に設けられた「くじま知ルーム」には、大田洋子に関する資料も一部展示されている。