この度、ユネスコ「世界の記憶」(国際登録)に、「広島の被爆作家による被災直後の資料」を申請します。
申請する資料は、次の通りです。
- 栗原貞子
- 原民喜
- 峠三吉
※『屍の街』(大田洋子)の自筆原稿も追加予定で、現在デジタル化を進めています。
これに伴い、「世界の記憶」登録実現のため、署名を集めることとしました。つきましては、こちらのページをご覧ください(締切は8月20日です)。
「世界の記憶」とは、人類の忘れてはならない歴史的な文章や記録を保存し公開するため 1992年にユネスコが制定したもので、自然や有形の文化遺産を対象とする「世界遺産」や無形の文化遺産を対象とする「世界無形文化遺産」とともに、ユネスコの三大遺産事業の一つです。日本では、2023年2月時点では7件が登録されています。どれも重要な文書や記録ですが、「人類の忘れてはならない」という世界史的人類史的視点から言うと原爆文学こそ「世界の記憶」に該当するのではないでしょうか。
広島・長崎への原爆投下は多くの新聞や雑誌で20世紀最大の事件として取り上げられています。それは20世紀最大の「負の遺産」ですが、その原爆投下による悲惨な被害を描いた原爆文学や絵画などは未だ「世界の記憶」に登録されていません。その一方で、ナチスの迫害を受けたポーランドのワルシャワ・ゲットーのアーカイブスやオランダのアンネ・フランクの日記は、それぞれ1999年、2009年に「世界の記憶」に登録されています。「負の遺産」には、人類がその未来のために学ばなければならないことが記録されているからです。
私たち 「広島文学資料保全の会」は、広島の原爆文学の一部を「世界の記録」に登録するために、これまでも運動してきました。被爆から78年が経ち、 被爆者の高齢化とともに被爆体験の風化が大きな問題となっています。この問題を克服し、世界に核戦争の危険に対する警鐘を鳴らすためにも、私たちは広島の原爆文学を「世界の記憶」として登録することを2014年6月以来提案し、これまで広島市と共同で2度申請をしてきました。今回は3度目の挑戦となります。
広島は世界で初めて原爆による壊滅的被害を受け、その体験は数多くの文学作品や手記などとして残されてきましたが、敗戦後の占領下におけるGHQのプレスコードによる「原爆を悲惨な事件として描写してはならない」という制限により、発表を禁止されたり修正を求められたりしたため、広くその被害の実態を知られるためには時間がかかりました。しかし、現在では20世紀の最大の事件として多くのマスコミが取り上げるようになりました。原爆投下とその悲惨な体験は 「人類の忘れてはならない」歴史的な事件であり、それを記録し、人々に伝えようとした原爆文学はまさに 「人類の忘れてはならない歴史的な文章であり、記録である」といえるでしょう。また核戦争の危険が過ぎ去らない現在、広島の原爆文学は、世界にもっと知られるべきではないでしょうか。
なお、後日改めて記者会見をし、詳しい説明を行う予定です。
関連ページ:ユネスコ「世界の記憶」(国際登録)2023年申請について
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