終戦間もない1948年に完成した平和アパート。鉄筋構造では戦後初の市営住宅で、4階建ての3棟計72戸。
このアパートの3号棟4階の一室に、峠三吉(1917~1953年)は1950年からこの世を去る1953年まで住んでいた。
峠が窓からの京橋川の眺めに着想を得て書かれた『河のある風景』は、1952年、『原爆詩集』を活字化し青木書店から出版する際に加えられた5編のうちの1つである。
敷地内には詩碑が立ち、この詩の一部が刻まれている。
平和アパートは、老朽化にともない、取り壊しが決定している。