広島市白島九軒町で被爆し、川のほとりで3日間野宿した後、玖島村(後の佐伯町。現在の廿日市市玖島)へ避難した太田洋子。玖島へ避難した後、作家としての責任から3ヶ月で書き上げたのが小説『屍の街』である。
1978年、『屍の町』や『夕凪の街と人と』など数多くの原爆作品を残した功績を賛え、平和への道標として詩人・栗原貞子、作家・佐多稲子、作家・大原富枝などをはじめとする全国の多くの人々の募金によって建立された。
この地に建てられたのは、たびたび広島に帰省し、原爆スラムとよばれた実妹・中川一枝宅を訪ね、『夕凪の街と人と』の舞台となったことによる。
設計は広島の反戦詩画人・四国五郎。大小15個の自然石を並べ、原爆によって亡くなった人々を模したもので、1個には『屍の街』の一節が刻まれている。
サッカースタジアム建設に伴い、元あった場所から約50m北の場所に再設置。2024年8月に公開された。